八重山を読もう! PART1 岡本太郎・星野道夫の巻




*1 八重山を読む
 三木健 著 南山舎 2000年
 南山舎のHPより購入できます





















*2 岡本太郎
 1911-1996
 詳細は岡本太郎記念館でどうぞ


*3 沖縄文化論−忘れられた日本
 岡本太郎 著 中公文庫 中央公論新社

*4 岡本太郎の沖縄
 岡本太郎 撮影 岡本敏子 編
 NHK出版



























*5 御嶽
 御嶽については、以前に書いた「御嶽ってなんだ?」を参照してください


*6 御嶽の写真
 ここでは、八重山をテーマにしているので、石垣島の御嶽についてとりあげましたが、岡本太郎が、もっとも強く印象に残った御嶽として取り上げているのは、久高島の御嶽です。
 「沖縄文化論」のなかでも「神と木と石」という章を起し、「何もないったってそのなさ加減」として感動を表現しています。

*7 え〜、これらは悪い意味で取り上げているのではありません。






*8 星野道夫
 1952-1996
 詳しい情報は公式サイトでどうぞ















*9 身近な自然・遠い自然
 「アラスカ風のような物語」に収録
 星野道夫 著 
 小学館文庫 小学館





*10 海人〜八重山情唄〜
 安里勇 リスペクトレコード

■はじめに
 「八重山を読む(*1)」という図書がある。
 八重山に関する記述のある図書・文献、八重山にゆかりのある人々の著述、約600点の要旨を示したデータベースだ。
 各図書の表紙の写真と約1000字程で記載された要旨を追うだけで、私達は、八重山に関する様々な事実、意見、文化に触れることが出来る。本当に優れた労作だと思う。

 「八重山を読もう」というタイトルは、この優れた著作から借用したものであるけれど、中身はもちろんそんな大層なものではない。
 日頃、興味の赴くままに読み飛ばしている八重山関連本のなかで、「これは、ムムム」、「やるではないか、凄いではないか」、「多くの人にもっとみてもらいたいではないか」と私が感じたものを、気の向いたときに、気の向いたスタイルで紹介する、いたって個人のホームページ的な私的なコーナーだ。

■画家・岡本太郎が見た八重山
 最近、再評価されているのであろうか? 名前を聞く機会が増えているように感じる「画家・岡本太郎(*2)」は、意外なことに(そうでもないか?)、沖縄に関して優れた著作を残している。
 「沖縄文化論−忘れられた日本(*3)」と写真集「岡本太郎の沖縄(*4)」だ。
 戦後がまだ色濃く残り、沖縄がまだ日本に返還されていない1959年に、はじめて岡本は沖縄にわたり、内地とは異なる生活と文化に強い印象を受けたらしい。
 このときの2ヶ月間の旅を中心にこれら2つの作品を著した。
 
 沖縄文化論のなかで岡本は、「何もないことの眩暈」、「八重山の悲歌」の2つの章で、石垣島の美と文化を評論している。
 そこで共通して示されているのは「無形の美」、あるいは「無形の文化」の価値ということだ。
 多くの人が裸足で歩き、貧しい生活の八重山では、絢爛豪華な美術品も、荘厳な建築物も、味わい深い屋外彫刻とも無縁だ。先人の知恵を伝える史跡と言えるものも残念ながら殆どない。
 しかし、岡本は、その地の「圧倒的な生命力」に眼を奪われ、そこに「美」や「文化」を見いたした。「生きる力」の美しさや、その感動、そしてその大切さを、「西洋的な美」や「日本古来の伝統美や民芸運動的なわびさび」と、はっきり区分した新たな価値として表現しようとしている。

 この「無形の美」、「無形の文化」の価値を写真に著したのが、写真集「岡本太郎の沖縄」と言え、先の評論と遂にして眺めてみたい作品だ。
 ここにも生活の写真が数多く収められ、当時の八重山や沖縄の様子を伝える貴重な資料となっている。
 それに加え、私は、ある写真に強く惹かれてしまった。
 それは「御嶽(*5)」である。
 ただ石を積み、草を刈っただけの何もない空間。
 しかし、そこは神が降臨する場であり、不思議な神々しさに溢れている。 岡本のなんの変哲もない、白黒の写真は、そんな雰囲気をなにげに表現している(*6)。

 今回とりあげたこの2冊は、最近数多く出版されている沖縄本に見られるような、「リゾート」、「グルメ」、「マリンスポーツ」といった「健康」で「クール」で「明るい」もの(*7)とは無縁なのもので、僕のように希薄な人間関係のなかで生きている者にとっては、ちょっと顔を背けたくなるよな、「生命」の生々しさがある。
 でも、それが却って、今の時代にも価値を持ち、あえて目を通したくなる存在理由なのかもしれない。

■星野道夫と八重山の不思議な関係
 星野道夫(*8)は、アウトドアが好きだったり、動物写真に興味がある方々には広く知られ、多くのファンをもつ写真家・文筆家だ。
 彼は、大学卒業後、アラスカに移り住み、そこでアラスカの動物と生きる人々の写真をとりため、エッセイを書き、発表してきた。
 これらの作品は、とても素直でとても優しい。
 人間の善とされる部分が全面に押しだされ、神経症になりやすい現代では、まさに一服の清涼剤ともいえる。
 人間の善的な部分を描かれると、うそくさく、悪い言葉を使えば、「カマトト」っぽく見えるものだが、彼の作品ではそういうことがない。
 きっと、アラスカでの地道な実績の積み重ねが、作品の隅々にまで現れていて、私達を納得させてくれているからだと思う。

 そんな彼の絶筆原稿「身近な自然・遠い自然(*9)」が、八重山について書かれた文章なのだ。おそらく、彼が八重山に触れた最初で最後の文章だろう。
 カムチャッカ半島でヒグマの撮影中に襲われ亡くなる数日前に、カムチャッカで出会った日本人に託した原稿だという。

 「安里勇・海人〜八重山情唄〜」(*)のライナーノートとして書かれたその原稿では、竹富島で潜ったときの素晴らしさと、安里の人となりの紹介が軸に描かれ、星野らしい「善」にみちあふれている。
 その瑞々しさは、私達の心を洗い、八重山の自然の魅力を再発見させてくれる。

 彼自身も、二歳の息子に、八重山の海を体験させ、豊かな世界観を育ませたいと念じるほど、心惹かれた八重山の自然であったが、そんな願いはかなうことなく、かえらぬ人となってしまう。

 アラスカの自然と人に心奪われ、いくつかの写真集とエッセイ集を我々に残した作家が、もし、いまでも生きていたならば、八重山のどんな自然と人を瑞々しく、私達に教えてくれたのだろうか?
 


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