ダイビングから遠く離れた私


*1 昭和40年代に、一世を風靡した「巨人の星」。そのなかに「大リーグボール2号は風に弱い」あるいは「大リーグボール2号は水に弱い」という、花形満、左門豊作、飛馬の親父らの名セリフをご存知でしょうか?

*2 95年にセブに出かけているが、これは社員旅行でいったもので、個人で遊びにいったものではありません。偶然潜ることができたのです。
 社員旅行で海外に行けたので、自由行動の時にダイビングをしたのです。





























*3 代表的な雑誌として「マリンダイビング」、「ダイビングワールド」、「ダイバー」があります。同じ分野に3誌もあることに驚きを禁じ得ません。
 楽しいエッセイを提供してくれる中野理枝氏のHPの「復活版品書」の中にダイビング雑誌を取り上げた「業界」の記事があり、なかなかに面白いです。

*4 例え忙しくても、ダイビングを楽しんでいる方々はたくさんいます。
 ただ、私は怠け者で、かつ、気持ちの切り替えがへたくそな人間なので、いろんなことを要領よくこなす事ができないのです。

 最近、私が「凄いな」と思っているのが、子育てをしながらダイビングをしている働くお母さん達です。「かよ」さんのHPをはじめとして、多くの方が新しいライフスタイルの情報を発信しています。




*5 えーと私のかみさんです。

■リゾートダイバーの弱点
 巨人の星風(*1)にいうならば「リゾートダイバーは仕事に弱い」、あるいは「リゾートダイバーは一人に弱い」となりましょうか。
 「灼熱の太陽・褐色の肌・しょっぱいキスの味」を求めて(前の記事参照)、あちこちの海に出かけていましたが、1994年のセブを最後に、ぱったりと出かけるのを止めてしまったのです。(*2)

 別に海に飽きた訳ではない。
 まとまった休みが取れなくなってしまったのだ。

 もし、私が、カメラ派ダイバーで、ウミウシやエビ・カニ類、ハゼ類などを撮影することに熱心であったなら、週末や日帰りで、伊豆半島や伊豆七島に出かけていたかもしれない。

 しかし、私は悪しきリゾートダイバーで、南の島にいくためにはどうしても最低5日以上の連続した休みを必要とした。また、下調べやら、旅行代理店の選択と料金の比較、ショップとホテルの選択、手配やらと手間隙かかることを事前にやらなくてはならない。
 これらのことを行う余裕を、時間的にも精神的にも失ってしまったのだ。

 Cカードの取得からずーっと一緒だったバディも結婚やら仕事やらで海に行けなくなってきた。私は一人でどこかに出かけるのは好かない。相棒がいてこそ楽しい。バディの喪失、これも海に行かなくなった理由なのだ。

■遠い海、そして復活
 ダイビングにいっていなかった約5年の間、私は本当に働いた。
 朝から晩まで働き、休日も働き、夢の中でも会社のことを考えた。

 責任ある立場にたっていた私は、「目標を達成できるよう受注」し、「原価がかからぬよう効率よく生産」し、「顧客が離れないよう品質管理」することに集中していた。
 海の雑誌(*3)や本を読むこともなくなり、眺めるものといったら、「貸借対照表と損益計算書」それに「品質や工程を管理する書類」となった。
 しゃべる内容も、「海の話」から、顧客に頭を下げたり、社長に怒られたときに発する「言い訳」ばかりとなった。

 そんな生活の中で海はどこかに消えていったのだ。(*4)

 しかし、今、再び、私は以前のように海に行き始めた。

 理由は簡単だ。

 リゾートダイバーの弱点である、時間的・精神的余裕を獲得し、また、バディを見つけることができたのだ。
 忙しかった会社は辞めてしまい、フリーになった。収入は激減したが、会議だの書類だのから開放され、様々な余裕が生まれたのだ。
 新たなバディ(*5)と出会うことで、再び海に対する情熱が湧きあがってきたのだ。

 そして、今、私は、デジカメ・デジビデを抱えて八重山にかよっている。



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